「エスキモーの猟ってのはな、『待ち』の猟なんだ。その待つ時間を耐えることも猟なんだよ」 キャプテンはそう格好良く言い放った。そして続ける。 「待〜って、待〜って、待〜って、見て〜」 続く言葉に格好良さは、全くないが、まさにクジラの猟の状況はそんな感じだ。 ひたすら待ち続け、誰かが必ず、クジラの現れる東の海面の監視を続ける。
アラスカ北極圏のポイントホープ。四月上旬から始まるクジラの猟は、春になり、氷に生じた開水面を通って北極海へ向かうホッキョククジラを狙っている。 猟は町の南に面した海で行っている。北風が吹くと南の海に開水面が生じるため、この時期は常に北風を待っている。 「吹け〜、吹け〜、吹け〜、吹け〜北〜風吹け〜」 キャプテンが調子っぱずれの声で歌いだす。 「シンゴ、お前も歌え」 「いやあ、オレが歌うと嵐きちゃうからやめとくよ」



冬の間、海を覆い尽くしている氷は、まっ平らではなく、特に陸に近い部分は、沖からの圧力が岸にぶつかり、巨大な氷の塊が好き勝手に林立したような「乱氷帯」となっている。開水面に出るためには、その乱氷帯を抜けていかなくてはならない。 現在の移動手段、スノーマシン(スノーモービル)と、それで曳くボートを乗せたソリが通れるトレイルを乱氷帯に作る必要がある。 ツルハシや先が3つほどに分かれたスィクラークと呼ぶ氷を砕く道具を持ち、男たちが氷の山を砕き、砕いた氷をへこんだ部分へと投げ込み、平らなトレイルを作り上げていく。 気温は氷点下だが、激しい肉体労働に、Tシャツ一枚になっている人さえもいる。 皆が汗だくで疲れ切った頃、クーラーバッグに入れられた大量の炭酸飲料が目の前に置かれる。各自好みの炭酸飲料を探し出し、一息つく。 曰く、コカコーラとペプシコーラは別のもの。だそうで、コーラならどちらでもいいという人は少ない。 炭酸飲料がクーラーバッグに入っているのは、気温が低いため、そのまま置いておくと、炭酸飲料が凍ってしまうため、「温かい」クーラーバッグに入れてある。 苦労して一日がかりで作ったトレイルも、風が吹いて氷が動けば、2度と使えなくなってしまうこともある。 しかし男たちは、諦めずにトレイルを作り続ける。
氷の端まであと数十メートル。最後の氷を砕いていた。腕に力がなくなってきたので、ツルハシをほかの人に渡し、邪魔にならないようにと、氷の尾根の反対側に積もった雪の上に飛び降りた、つもりだった。 左足がズブズブと沈み始める。え、どういうことだ? 右足を踏ん張り一歩進もうとするが、足は沈んでいく。 「お前、何やってるんだ! そこはクラックだ!」 後ろからキャプテンの怒鳴り声が聞こえる。 這い出るようにして、ようやくクラックから抜け出す。 偶然にもクラックを見つけることになり、ここはトレイルとしては良くないと、トレイルを作り直すことになった。その間にブーツを脱いで、靴下を変える。 さっき怒鳴っていたキャプテンが、ニヤニヤ笑いながら横へやってくる。 「坊や、怖かったろう?」 「うん、父ちゃん、すげー怖かった」 そう言ってキャプテンに泣きつくふりをすると、周囲は大笑いとなる。




トレイルができ上がり、氷の端にキャンプができると、あとはひたすら待つばかり。 過去の猟の話をしたり、昼寝をしたり。
はるか沖の方にクジラの潮を見つける。緊張感が漂い始める。クジラが次第に近づくにつれ、その緊張感は高まってくる。 近年、モーターボートを多用するようになり、多少の物音はあまり気にしなくなったような気もするが、ウミアックを使ってクジラを追う場合は、カメラのシャッター音でさえ、クジラに聞こえてしまうのではないか、という緊張感があった。そしてその緊張感によって寒ささえも忘れてしまうほどである。 クジラが近づくと、モーターボートで追い始める。 クジラはエンジン音を聞いてさっさと逃げてしまうものもいれば、不思議とその場に留まるものもいる。 氷の上からボートの行方を追い続けるが、クジラを追って遠くまで行ってしまい見えなくなってしまうことも多い。 すべてのモーターボートが視界から消え去り、静かになった海。クジラが数頭現れ、目の前を通り過ぎる。 エンジンの大きな音は、クジラによく聞こえていて、今はキャンプの前を通っても安全だということはよくわかるのだろう。



クジラを追って行ったまま、数時間ボートが戻ってこないことがある。 「クジラが捕れたんだろうな」そんなことを仲間と言いながら、キャンプでコーヒーを飲んだりしながら待ち続ける。 かつては無線機を使ってあらゆる連絡をしていたので、すべての情報はみんなで共有していたが、今は携帯電話が連絡手段になってしまったので、情報は限られている。 「ちょっとあいつの携帯に電話してみるよ」 ボートに乗っている男の携帯に電話してみる人。 「クジラ捕れたってさ」 「え? まじか?」 「大きさは?」 「そんなに大きくないって言ってる」 「よかった。解体が楽だよね」 数日前に大きなクジラが捕れていて、引き上げ解体作業で苦労しているので、できれば小さくて肉質の柔らかい「イングトック」が捕れるよう、皆願っている。 クジラが氷の端に曳航されてきた。解体のためのマーキングが施され、尾の身の部分にロープが取り付けられる。 「なあ、クジラ、大きくないか?」 「50フィートくらいありそうだよな」 「誰だ? 小さいって言ってたの」 どうしたことか、水の中に浮いているクジラは小さく見えることがある。
引き上げが始まる。大きなクジラの場合、引き上げ完了まで数時間かかることもある。クジラのそばで、Sがずっと声を上げ続けている。 「あと20フィート!」 「あと10フィート!」 滑車とロープを使って引き上げているので、ロープを数十メートル引いてもクジラはわずかに動くだけ。 「あと1回!」 ロープを引き続ける。 「あと1回!」 「なあ、あと何回『あと1回』があるんだ?」 「あと1回!」 するとロープを引いていた一人が大声で叫ぶ。 「S、お前の名前は『サグルー』だ!」 みんなは大笑いをしているが、その声はSの所まで届かない。 サグルー、エスキモー語で「嘘」の意味。



クジラが引き上げられると、それぞれのクジラ組は、銛を打った順番で決まっている。自分たちの取り分の部分に取り付き、解体が始まる。 ある年、我々の取り分は、口の部分だった。巨大なナイフでクジラを解体するのは結構な重労働で、適宜交代しながら解体を進めていく。 ナイフを受け取り、クジラの口の部分へ登る。むき出しになった髭を頼りに少し高い場所へ。そして口の周りのマクタック(表皮と脂肪の部分)を切り取っていく。切り取ったマクタックは、クジラの周りにできた血の池の中へと落ちていく。 一通り切り終わり、クジラの上から降りようとすると、足が滑り、ナイフを持ったまま、血の池まで滑り落ちる。 「おい、大丈夫か?」 仲間が駆け寄ってくる。 クジラの血と脂にまみれた手袋を外しながら駆け寄ってきた友人に尋ねる 「指、全部付いてるよね?」 「あ、えっと、うん5本あるね」 クジラ自体が滑るし、血まみれ脂まみれとなったクジラの周りの氷も非常に滑りやすい。時々ナイフを持ったまま、滑って転けている人がいるが、今の所それで怪我をした人は見たことはない。

クジラの解体はどんなに気をつけていても脂まみれ血まみれとなる。人によっては、ゴム引の雨具を着て作業する人もいるが、普段着ている防寒着のまま作業をしている人も多い。 作業終了後、血と脂でベトベトになった防寒着。 「このまま町に帰って、会う人みんなとハグしようか」 そんなことを言いながら帰路につく。 ある日、他のクジラ組の解体から帰ってきた我々の仲間。なぜか彼の履いている防寒着のズボンのみ脂切っている。 「なんかお前、すごい輝いているね」 「火をつけたら、一瞬で燃え上がりそうだよな」 そんな冗談が飛ぶほど、彼のズボンは脂まみれだった。そのズボンは洗っても綺麗にならないと判断され、その後破棄されたそうだ。 解体したクジラの肉やマクタックは、海岸付近の雪や氷の上で、それぞれのクジラ組のクルーに分配するために、さらに小さく切り分けられる。 クルーの一員であれば、キャプテンであれ誰であれ、同じ量の肉と皮をもらうことができる。 家に持ち帰る際、ビニール袋へ入れて持ち帰ることが多い。そのために使うのは、ハンドルのついた長さ50センチほどのフック(ニクシック)である。 ニクシックで肉を引っ掛けて、袋に入れていく。一人では作業しにくいので、一人が肉を引っ掛け、もう一人は袋を広げている。 ある日、キャプテンと一緒に袋に肉を入れていた時のこと。キャプテンがニクシックで引っ掛けていた肉が、袋に入れる直前にフックから滑り落ちる。 急に軽くなったフックはそのまま上の方へ。そこにあるのは自分の顔。フックの鋭い先端が口の端をかすめていく。 一瞬のことなのでこちらは痛みを全く感じていないが、キャプテンの顔が一瞬青ざめるのがわかる。 「あ、クソ、なんてこった!」 キャプテンの口から自分自身のミス、相手を傷つけてしまったことに対する悪態が聞こえて来る。 「大丈夫だよ」 と言いながら手で口を拭ってみると、手に血が付いてくる。ペーパータオルで傷口を押さえていると、すぐに出血は止まった。 「ちょっと切れただけだから、大丈夫だって」 「本当か? 見せてみろ」 「ほら、血も止まったし。しばらくキスできないけどね」 そう言いながら、笑うと再び出血してきた。



さて。 自分用にもらった肉の分け前(「ニギャック」という)。どう使おうと自分の自由。持って帰れるものなら、日本へ持って帰りたいのだが、生肉で遠距離なので、さすがに無理。 結局ほとんどを居候先に置いていくことになる。それじゃもったいないと、できる限り食べようと思うのだが、10キロ、20キロある肉は、なかなか食べ切るものではない。 凍らせて塩をかけて食べる。それはそれでうまい。試しに生姜醤油で食べてみる。なんじゃこれ。止まらなくなる。ワサビ醤油も同様。ご飯も炊いてみる。なんて幸せなんだ。 そういえばクジラの竜田揚げって食べたことないな。と思い立ち、竜田揚げを作ってみる。 「これ、最高にうまいじゃん、今まで食ったクジラの肉で一番うまいよ」 そうか、こういう味が好みか。 「今度また作ってね。たくさん」 結果、3時間も台所に立ち続ける羽目になったのだった。 「ねえ、電気フライヤー買おうよ」




笹川流れ合宿にご参加された皆様、大変お疲れさまでございました。
昨年この合宿に参加して入会を決めた時から今年の合宿が始まっていたのかもしれません(個人的な意見です)。
遠方よりお越しの皆様は金曜日の夕方(もっと早い方もちらほら)から入られておられましたが、Taka-p師匠も居られるし甘えさせて頂いて金曜日の夜に現地入りさせて貰った(設営側なのにすみません)。
記した通り、なぜ昨年からこの合宿が始まったかと言えば… 昨年出来なかったストームロールの練習の成果を見て貰いたかった!の一言に尽きるからです。

金曜日の夜、前夜祭も大変盛り上がり明日に向けて気分も昂揚する。
当日 風と波が有る中、早朝よりkomaさん、伊東師匠が海へと漕ぎ出していた(スキージャンプのテストジャンパーの様だ)。ご参加頂くメンバーも早々に集会場へ集まったので自己紹介から基本編と前屈道場と参加クラスを表明してもらい、いよいよ海岸へと場所を移動する。基本をすっ飛ばしている僕としては基本編の講習内容も大いに気になるところではあったが、背伸びして前屈道場入りしたので、講師をお願いした伊東さんの話に聞き入る。砂浜の上でのチェストスカーリング講習でも自分のダメなところを思い知らされる。そして海上では砂浜での反省点を踏まえ黙々とチェストスカーリングをする。その後本題のストームロールとなりkomaさん、やっくん、ハンターさん、のストームロールはとても綺麗でプレッシャーが掛かる(特にやっくんの前屈はマリギアックばりだ!)。 そして僕もストームロール@
伊東師匠「頭が先に起きてる!」
僕 「へっ???」 んじゃも一回@

何度も同じ事を繰り返し、今日1番が出た所で昼休憩 近くのうどんそば屋さんへ皆で移動→→
Taka-p師匠の完璧な段取りで朝に皆さんより注文の希望を取って貰っていたので、古谷代表以外はスムーズに昼食と少々のアルコール(本当か?)が摂取できたのではないかと思う。
午後の部は伊東師匠よりストームパドルをお借りして揚力の少ない状態でのチェストスカーリングやコンティニュアスに興じる。疲れてきて思うようにロールが出来ない。気分転換にスキンカヤックに乗せて貰ったり、人のロールなどを観察したりしていた。観察していた中で特に…komaさんが一生懸命課題をされている姿や、ハンターさんのハンドロールその他諸々のスムーズさや、半年ぶりのロールを楽しまれているkeiさんの姿に刺激と感動を受けた(基本クラスの方もそれぞれの課題に挑んでおられました)。
その後間もなくお開きとなり、片付け入浴後に夜の部である座学に入る。座学の講師は魚住総代表にお願いし、トラディショナルなスキンカヤックについて制作の仕方をパワーポイントや本、ご自分で制作中のスキンカヤックのフレームなどを使いご講演頂いた。自分に出来るかどうかは何とも言えないが、スキンカヤックを作ってみたい衝動に駆られるお話しだった。
そして夕食となり、その世界では名の通った地方巡業の歌手の歌と新潟ならではの日本酒で乾杯をして宴が始まった。昨年に引き続き、Sシェフの美味しい料理と皆さんが持ち寄った酒で話が弾む!火野正keiさん、目黒さんからジャンケン大会の景品を頂いたので、古谷ブロック代表にジャンケンをお願いし多いに盛り上がった。夜も更け明日への英気が養われたところでお開きとなる(今夜は大人しめでした…)。
最終日 早朝より昨夜とうちゃこした紫朗さんがロール@@を練習されていた。スケジュールではツーリング後に実技の練習も入っているが、昨年の感じからするとツーリングだけとなりそうなので、昨年もご参加頂いた紫朗さんの判断は正解である。なんやかんだしている内に朝食時間となり、参加メンバー皆でSシェフの料理を頂きながら本日のスケジュールの説明がなされる。遠方からの方々の帰省時間なども考慮し、少しでも早くスケジュールを消化させる為、変更部分を説明する。時間前倒しで集合写真を撮影し、ツーリング出艇場所の板貝集落へと移動し、ツーリングへgogo
有里さんのスプレースカートにトラブルが出てしまい一旦引き返したりが有ったが、笹川流れの綺麗な景色(丘から海中まで)お楽しみ頂けたと思う(有里さんは怖かったみたいで申訳ないですmm)。
出艇場所で記念撮影後、撤収し桑川の集会場へ戻り、Sシェフの最後のご飯をこれまた皆で頂く(同じ釜の飯を食うのは団結力が高まる‼感じがする)。食事しながら伊東前総代表より総括の言葉を頂き散会となった(それぞれ今後の課題や目標が明確になったのではないか…)。
後片付けまで皆さんに手伝って貰った事、皆さんのご協力で怪我や事故が無く終わられた事、設営から深く関わって頂いた方々に万謝を申し上げて 設営側というよりは大澤一個人の感想的な報告とさせて頂きます。 ありがとうございましたmm
文責:おおさわ(キ●タマ野郎2号)
追伸
また何処かの海で遊んで下さい!!(この組織に入ってたまらなく好きな言葉)

エピソード1『転勤丸の帰還』
千葉の新舞子浜で生まれて京都を経て沖縄に渡ったぼくの スキンカヤックは転勤丸という名前をつけられていました。
今回、転勤丸について書く機会を頂きました。 現在の転勤丸は、那覇のマンションのベランダで眠ったまま5年がたっています。 これは、転勤丸が復活して帰還するまでの物語になる予定ですが、 復活できるのか、帰還できるのか、実のところまだわかりません。 第1回 エピソ-ドⅠ エピソ-ドⅠはだいぶ昔にさかのぼります。 2000年8月、カヤックを始めてから数年たった頃に、ぼくはカヤック発祥といわれる 地を見たいと思いグリ-ンランドに行って、初めて、スキンカヤックを見ました。 当時は現在のようにたくさんのネット情報がなく、グリ-ンランドを紹介する日本の 書籍は数冊の旅行記と北欧のガイドブックのなかの小さなコラム程度、LonelyPlanet もアイスランドとあわせて一冊で、英語の旅行記も探してみましたが、英語が読めるわけ ではないので、とても少ない情報のまま行ってみました。 コペンハ-ゲンから5時間で小さな国際空港のナルサルサ-クへ、そこから数人乗りの ボ-トで3時間のナルサ-クに滞在しました。 なにかの本に、このあたりには現役のカヤックハンタ-がいる、と書かれていたように 思ったので、ツ-リストインフォメ-ションに聞きに行くと、あっさりと、 ここにはいない、もっと北に行けばいるかもね、と笑われた感じで、本の情報が間違って いたのか、ぼくが英語を読み間違ったのかはわかりませんが、とにかくあきらめて, 近辺の地図をもらうと「カヤックハ-バ-」という記載があったので行ってみると、海岸に、 スキンカヤックと朽ちたフレ-ムがありました。
当時は、スキンカヤックの知識などはまったくなかったので、それが、現在も使われている ものなのか、どのような特徴があるのか、など気にも留めずに写真を撮りました。 この写真が、ぼくのカヤックの原点のひとつでもあるので、いまでもFacebookの表紙に使っています。
現地での移動のために折り畳み自転車を持っていきましたが、長距離の航空運搬を甘く見て 梱包を杜撰にしてしまったのであちこち壊れました。コペンハ-ゲンからナルサルサ-クまで、 大きくはないひどく揺れる飛行機で氷河の上を飛んでいるときは、とても怖がりながら この世の果てだと思い、こんなル-トを商業飛行の定期便にしたのはすごいことだと思い、 デビルマンを思い出しました。
そんなことやカヤックよりもグリ-ンランドでいちばん印象に残ったのは、 子供たちがあまりにも日本人にそっくりなことでした。白人系の子供もときどきいますし、 大人はそれほど日本人に似ているとは思いませんでしたが、ほとんどの子供たちはまったく 日本人のようだったので、世界のつながりに圧倒されました。 世界の果てかと思うような地に行ってみると、近所の子供と同じ顔をした子供たちがたくさんいて、 そこに起源を持つといわれるカヤックにぼくは魅かれて、その地へ行ったのでした。
なかなか転勤丸の現在ににたどり着きませんが、こんなことを書いているうちに復活の機運が 高まらないものかと思います。